月の時間

月の時間へようこそ。

おひとりさまが好きですが、何か?

3/19(日)

どこまでもひとりで行動することが好きだ。

楽だからとかそういうことではなく、とにかくひとりで何かすることがいちばん心が満たされるしわくわくする。

だれにも邪魔されることなく自分だけの時間を過ごした日は、何か特別なことをしたわけでもなくてもひとりご満悦にベットに入って気分がいい。

 

ひとりが好きなんて、普通はあまり聞こえがいいことじゃない。

だってもう50歳。

若くもないし、老後の保証が万全な人でもない。

自分でも時々、こんなんで大丈夫か、わたし?、と思う(笑)

 

人生の終焉にひとりは寂しいと決まってるんだろうか。

ひとりでお金に困ったらどうなる?

病気になったら??

終焉になってみないと実際はわからない。

今は全部想像だけ。

 

なんか不安だからパートナーを探すか、というのもちょっと違う気がする、

パートナーがいる暮らしも想像してみたけど現実味がないし。

 

今はひとりがいいしひとりが楽しい。

先のことばかり考えて不安をリスト化する時間があったら、今を味わって謳歌しようと思う。

 

自分がいちばん時間をかけてきたことは何か

3/18(土)

相田みつをさんのことばに、「いちばん大事なものにいちばん大事な時間をかける」という言葉があると聞いた。

 

ということは、これまでいちばん時間を注いだことに、自分が何を大切にしているのかを紐解くヒントがありそうだ。

 

私がいちばん時間をかけてきたことは、自分探しだと思う。

後悔するほど30代40代は仕事に時間を費やしたが、

それは仕事で自分の生き甲斐や存在意義を見出せると思っていたからだ。

 

自分の好きなことで成功して、生き生きキラキラしている人にとても憧れたけれど、でも自分は何がしたいのかもよく分からなかった。

自分は何が向いてるのか、何をしたら生きがいを感じられるのか知りたかった。

30代までは仕事を転々と変えたりもしてみたけれど見つからなかった。

幸せにはカタチがあり、自分を定義できるものであるはずと思っていたから、何かを成し遂げなければという謎のプレッシャーと闘っていた。

ずっとその「何か」という実態のない幻想を追いかけていた。

まだまだ自分は冒険の入口に立っていると信じ、きっと何かやってくれると期待して今の自分を否定する。

 

50歳になった今は、自分を大切に扱うことがいちばん大事なことだと思っている。

自分を大事に、丁寧に扱い、労わる。

それは今のそのままの自分にオーケーを出して受け入れること。

それがずっと出来なかった。

50歳になって、ようやくできるようになった。

 

自分にオーケーを出せたら、まわりに存在するものすべてが大切に思え、感謝できるようになった。

許せなかった他人が許せるようになった。

 

分かるまで30年ほどかかったが、一生分からないままでなくてよかったと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フラットな状態を目指す

3/16(木)

嫌いな相手や苦手なタイプがいる時、

その人にも愛を持って向き合えとか、

人は変えられないから自分の見方を変えるしかないなどと言われると、

正論なのだけどとてもハードルが高いと思って諦めてしまう。

マイナス10になっているものを、

無理やり意志の力でプラス10には出来ない。

出来たとしてもきっと続かない。

 

だけど、プラスマイナスゼロの状態にはできるんじゃないかな。

最初はうまくいかなくて、感情が掻き乱されたり怒りに震えたりしてしまうことが続くかもしれない。

感情を整えるのにものすごく時間がかかるかもしれない。

 

それでも心をフラットにしようとトライし続けたら、

だんだん習慣になって、前より自然に短時間で心をフラットにできる。

 

イライラ魔王だった私が証明する。

感情が汚染する前に、スッと平常心を呼び出せば、10回のうち8回ぐらいまでは成功するようになる。

 

 

 

 

 

 

 

甘いモノを控えるとイライラが消える

3/15(水)

甘いモノ、砂糖をひかえると体調不良やイライラが軽減されると聞いて、ひと月前ぐらいから試している。

ついでに同じような効果があるというグルテンフリーも一緒に試してみた。

ただしどちらも徹底的にというより、以前の8割程度減らすぐらい。

 

ところがこれがイライラ対策に効果絶大だった。

イライラしないマインドも心がけたのも確かだけど、

どんなに意識してもグチャイライラが止まらなかったのに、ピタッと止まったのだ。

 

ただ、全部同時にやったから、どれが最も効果があったのかはわかっていない。。。。

 

 

時間は"ある"と感じると"ある"

3/14(火)

以前はいつも時間がないと思っていた。

正確に言えば、足りないと思ってた。

 

朝から晩まで、常に時間に対して渇望感と不足感があり、最後に寝るまで30分しか自由な時間がないと、毎晩ため息をついていた。

 

最近、なぜそうなっていたのか理由が分かった。

今やっていることに集中してないからだ。

目の前のことを味わってなかった。

 

朝食を食べながら次のメイクのことに気が行き、

仕事を始めたら終わらせたい一心でやっていることに深く向き合っていない。

仕事が終わると、ご飯を作りながら次はお風呂に入って洗濯物を畳んで、、、と意識は常に先にいっているものだから、いつもバタバタガサガサと動き回っていた。

 

それを全部やめてみた。

 

ゆっくりご飯を食べ、ゆっくり洗い物をする。

お風呂もゆったり入る。

仕事は時間がどれだけかかるかをとりあえず置き、

依頼にしっかり向き合ってみる。

メンバーの相談にもしっかり耳を傾ける。

ルーチンワークもひとつひとつ手を入れる。

モノを丁寧に扱う。

そして何より、今やっていることは何でも楽しんでみた。

 

すると。

 

本当に不思議なのだけど、時間がいつもの倍で流れ出した。

本当に不思議なのだけど、これは本当。

それどころか、いつもよりスムーズに物事が完了するのだ。

 

自分の周りにこれまでと違う時間の流れを感じる。

そう、時間は誰にもいつでも等しく1日24時間。

でも、感じることで時間は私たちのところにとどまってくれるようだ。

 

 

 

何かが変わり始めた

3/13(月)

イライラしたりモノに当たったりすることが気がついたらなくなっている。

少なくとも2週間は記憶にない。

 

チームのメンバーにイライラしたり、少し意地悪な対処を向けることがなくなった。

これは直近、先週の金曜日ぐらいから(笑)

 

父に対しても優しく接するようになってきた自分に自分がいちばん驚いている。

そうするととても不思議なんだけど、父と絶好の状態の弟が、少し態度を緩めて父に接してきたのだ。

 

とにかく、何かが変わり始めてきた。

 

 

 

自分だけの処方箋、ありますか?

こんにちは、Kiyukaです。

 

突然ですが、心が曇り空の時の処方箋、ありますか?

曇り空どころか、生きていると、大雨だったり嵐だったり。

 

そんな時は今すぐにでもそこから逃げ出したい思いでいっぱいになります。

逃げ出せたらいいのだけど、

現実は、耐えるか、気にしないと決めてやり過ごすか。

概ね、「逃げる」という選択肢は、あっても選ばないんじゃないかな。

 

そんな時は、「今すぐ処方箋を!」という、カンフル剤的な何かを思いめぐらします。

それがいつも引き出しに整理されていて、

「今日みたいなときはこれ。」とスイスイ出せたらいいのだけど、

心の整理がへたくそな私は、だいたい、

「こんな時は何だっけ、何が好きなんだっけ。」と頭の中で思考がグルグルして落ち込みます。

 

それで、最近ようやく心が曇りマークの時の処方箋を書き出しておこうと思い立ちました。

私の場合、先の記事にも書きましたが、

 

・本屋さんに行く

・家で雑誌を見る

・家で漫画を読む

・マイキッチンで料理をする

・マイキッチンでお菓子を作る

・目に見えないところを掃除する

・ベランダで星を観る

 

だいたいこんな感じです。

運動は今のところ入っていない(笑)

 

気付いたのが、旅行に行くとか、ほしいと思っていたお洋服をエイヤっと買ってしまうとか、

そういうことではないのだな、ということです。

 

実はわたし、ストレスがたまると散財してしまう癖があって。

それも、気が付いたら散財しているタイプです。

 

目的もなくショッピングモールをうろうろする。

目についたちょっとしたものをパッと買ってしまう。

 

で、家に帰って気分がいいかというと、散財の罪悪感と後悔の嵐です。

当て所なくウロウロした後は、体の疲れもなんだか嫌な疲れ方で、もちろん心なんか晴れません。

 

YouTubeで大好きなチャンネルがありまして、その中でそのYouTuberの方が言ってたんですね。

 

真の癒しや満足は、身近な暮らしの中の当たり前のことに手間をかけてみることにあると。

 

その時は、理想だなあと思ったのと同時に、その時間がなかったりするんだよな、と思ったんですが、

最近はつくづく真実だなと思います。

 

料理や掃除の方が、遠くにでかけたりモノを買ったりすることでは感じなかった何倍もの癒しがありました。

 

自分で作った料理は、ウソみたいだけどデパ地下のお惣菜よりおいしい。

自分で焼いたスコーンは、有名なパティスリーのものとは見かけも質感も劣るのに、なぜか美味しくて何個でも食べられる。

 

以前は、自分がどうやったら心の癒しを得られるのかよくわかってなかったのだと思います。

 

だから、なんとなくにぎやかなところに行って、

なんとなく目についたものを買って、

なんとなく休日を終える。

 

わたしの癒しは、どこか遠くというより、日々の営みの中にありました。

 

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