忙しいと、そこにあるものが見えなくなる話
3/21(火)
仕事で、忙しさと煩雑さとイライラがフルセットだった時期がある。
いつも疲れていて、気合いだけで仕事を乗りきれる典型的な昭和のビジネスマン。
そしてこの忙しい時によくミスをしていた。
ミスの中でも「見落とし」が多かった。
メールでお客さんから注文書が届いていて、その前後のメールは処理しているのに、なぜかすっぽり注文書が添付されたメールだけ見落としている。
そこだけ飛ばすなんてことは考えられず、見ているのに見落としているのだ。
どうして私は注文書をよく見落とすんだろうと、その時期はひどく落ち込んだ。
他のメンバーはあまりそういうことがなく、私だけ見落とし事故がなくならなかった。
他の人より多くの仕事をかかえ、内容も難易度がたかいものだったり仕事は煩雑を極めた。
おまけに新人が来ればそこにも手を取られ、自分の仕事は時間外でこなす始末。
なんで私だけこんな目に遭うんだよ。
長いことそんな時期があった。
今年になってそんな自分もパターンも全部嫌になって、すっぱりやり方を変えた。
速い話が仕事の抱え込みをやめて、時間外に仕事をするのもやめた。
夜は早く寝て、朝はそこそこの時間に起きる。
その日こなせるだけの仕事をして、残った仕事は明日の自分を信じて託し、終わる。
そうしたら、見落としやミスをしなくなった。
それに、以前より多くの仕事を短い時間で終えられるようになったのだ。
集中力の質が違うのだ。
忙しさとはただの非効率じゃないか。
それに、目の前にあるものにも注意が行かなくなる。
見ているのに見えていない。
私の消えるメールのからくりはそういうことだったようだ。
仕事だけでなく、自分自身のことや友達のこと、家族のこと。心を向けられなくなっていた。
大切なものが目の前にあるのに、そこに存在しているのに、見えていないようになっちゃうなんて悲しいことだよね。
長い時間がかかったけど、気づけてよかったと思う。